5月13日に決定した東京電力福島第一原子力発電所事故の賠償の枠組みに関連して記者会見で、原発事故発生前の東京電力の金融機関からの借入金について、が一部債権放棄することに期待感を示した。
東電への公的資金注入が必要になる可能性が高いわけだが、事故前の債権について銀行の一部債権放棄が前提となるとの見解だ。
「一切債権放棄がなされなくても公的資金投入に国民の理解は得られると考えるか」との記者の質問に、「3月11日以前の融資については、お尋ねのような、国民の理解が得られるかと言えば到底得られないと思う」と発言した。

さらに「東電が(債権放棄の)協力を仰ぎ、金融機関が応じるかという問題だ。そうした努力の成果を踏まえて、今回決めたやり方を前に進めるのか、違ったことを取らざるを得ないのか判断する」と発言し、金融機関の一部債権放棄などがなければ賠償枠組みの見直しも必要との考えらしい。
賠償資金をどうするかが問題なのだが広義の意味での税金の投入は避けられないと思われる。
国が面倒を見るということは、すなわち国民全体、社会全体で負担するのに等しい。
方式はどのような形態でも国民が身銭を切ることに変りはないのだ。
だから、金融機関も貸した金を一部棒引きしろというわけだ。しかし、銀行の貸付資金は我々預金者から集めた資金を企業に貸し付けてるわけで、むやみに棒引きされていいはずはない。
 
ここで忘れてならないのは株主責任だ。国民が負担し、金融機関も負担するとなれば株主の負担がなくていいはずはない。
具体的にはJALと同じ会社更生法という手段がひとつはある。
ただその場合は金融市場や金融機関の影響が大きい。株式だけでなく、東電の発行した社債などの東電がらみの有価証券は紙くずとなり大損する人がいっぱい出てくる。
個人投資家やファンドや公的年金基金などの機関投資家の運用にも大穴があく。
経済は一蓮托生だから、どこかに大きなマイナスが出れば、誰も関係ないというわけにはいかないのだ。
 
そこまで乱暴な方法をとらないのであれば、減資という方法もある。
原資の割合に応じて株主は損失を被ることになる。 
例えば、10分の1に原資して、新たに増資を行い金融機関や国や一般投資家が増資を引き受け、再出発するというスキームだ。

いずれにしろ、電力供給は国の経済の根幹だから潰してなくしてしまえと言うわけにはいかない。
かといって東電のみにその責任を負わせるのも原子力という国の政策にそった事業を民間が引き受けたという構図を考えればそれもちょっと理不尽な部分があるし、賠償金がでかすぎて、あらゆるすべての賠償金を東電1社が負担できる能力がないのは明らかだ。
 
原発利権で潤ったのは、なにも東京電力だけではないし、東電以外のところにもっと原発利権が隠れているような気さえする。
今回のような事故が1回起きれば一民間企業の責任能力をはるかに超えてしまうわけで、民間企業として電力会社が原子力発電というハイリスクな事業を継続してよいのか?ということになる。
原発の必要性の有無についてここで論じるつもりはないことを前置きさせていただくが、企業の経営上の観点から言えば会社は株主のものだ。
半官半民のような電力会社とはいえ、立派な東証一部の上場企業であるのだから、民間企業という基本的な構図の意味するところを十分考える必要がある。

例えば、東電のような悲惨な状況を見て、他の電力会社の経営者や株主はどう考えるだろうか?
原発なんてこんなハイリスクな事業は民間企業として継続することはもうできないと言い出す可能性がある。
東電に100%の責任があるかというとそれも少し乱暴すぎる。大震災という直接的な原因もある程度考慮されるべきだ。
なんでもかんでも電力会社の責任ということで処理をすると、おそらく他の電力会社は原発事業の廃止を言い出す可能性が高い。

原発廃止が国益にかなうなら良いのだが、将来の電力供給をどうするかの道筋をつけて具体的な政策を実行しなければ国家も経済も混乱してしまう。
電力の安定供給についても、電力会社として努力はするが原発廃止を前提にするなら限界があるので、足りない電力は国がどうにかしてくれということになりかねない。
もちろん化石燃料の比率が一気に上がるわけだから、その分のコストは電気料金に跳ね返ってくる。

電気料金が大幅に上がるのも困るし電力が足りないのも困る。
もし電力会社が経営上のリスクを理由に原発廃止を言い出すか、もし原発を運転するなら何かの事故の時は国家が面倒見てくれない限りもうやりませんと言い出しかねないのだ。
東電にあれだけの責任を求めるのに他の電力会社は何かあったときに免責なんてことも筋が通らないし許されない。

その結果、原子力発電は国の事業として国家がやるということになったら最悪だ。
電力会社は一応民間という形態だから一応の経営努力もするし情報公開もする。隠蔽体質は昔から非難されてきたが、原発を国にやらせたら東電の隠蔽体質なんて比べ物にならないかわいいものと言われることになりかねない。
国家が原発をやるというのは電力会社にやらせるより経営効率が悪いだけでなく危機管理や安全管理の面でもさらに酷いことになるだろう。

民間の上場している電力会社が発電事業を行うということは経営効率の面で国がやるよりはマシなわけだし、企業を監視するという面から考えても、上場している会社は不特定多数の株主が企業を監視することが少しは可能だから利点も多いのだ。
東電がもし国営になったらたぶん今よりもっと酷い体質になると思う。一般国民が監視することが今より非常に難しくなる。

まとまらない話になってしまったが、今回の教訓が良い方向に向かうために賠償問題と国民負担、金融機関の負担、株主の負担がどうあるべきかのバランスを十分議論すべきと感じるし、原発事業についても縮小廃止の方向で真剣にやろうとするなら、電力供給をどうするかの具体策が必要だ。
安心安全で信頼のできる電力供給は日本の経済の根幹なわけだし、その意味で優秀な電力会社は絶対必要だ。さらには小規模分散型の発電で電力自由化を進めることで、小規模な発電事業がたくさん生まれるわけだし、既存の電力会社との良い意味での競争原理が働くことで安全面やサービスの質や電気料金の値下げにもつながっていくと思うのだが。
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